あなぶきメディカルケア㈱が運営する“誰でも見れるWEB社内報”です

はたらく人

地域と共に生きていることを感じながら<1/2>

  • 倉敷
  • 介護職
  • アルファリビング倉敷駅前通り
570views

アルファリビング倉敷駅前通りのサービス提供責任者 相田弘子さんは、当ホーム開設時より地域に根差したサービス提供に力を注がれています。自ら地域の方たちに働きかけ、地域の方たちのお力を借りながら、ご入居者が当たり前のように地域の方たちと関わりながら暮らす。相田さんのインタビュー(前編)です。


そっと傍にいることが作り出す安心感

介護の仕事を目指すきっかけになったのは、亡くなった祖母の存在です。厳しかったですが、元気で温かい人でした。祖母とは離れて暮らしていましたが、倉敷に来る度に叱られていました。今思えば当然のことなのですが、礼儀作法や身だしなみを口うるさく言われることが、当時は嫌だったし反抗もしていたように思います。
そんな元気な祖母ですが、私が就職して働き始めた頃病気になり入院しました。当時の私は20歳くらいです。その頃は友達と遊ぶことが楽しく、どこかで祖母のことは気にはなっていながらも、自分の楽しみを優先していました。それが今でもずっと頭に残っています。
亡くなった後では何もできないのですが、亡くなって初めて「何かできることはなかったのか」と悔やみました。1番の後悔は、ただただ傍にいれば良かったということ。入院した祖母の傍らで座っているだけで、手を握っているだけで良かったのだと思います。厳しい祖母でしたが孫の私のことを可愛いと思い、大切に育ててくれていたのだと今だからわかります。成人式の着物姿を病室まで見せに行くと、とても喜んでくれました。私はまだおばあちゃんになっていませんが、私自身が想像している以上にずっとかわいがってくれていたと思います。

看守りながらの自立支援

その後悔から得た想いは、仕事をする上でも大切にしています。言葉はなくても誰かが傍にいるだけで与えられる安心感や、その空間に流れる幸せな時間があると思います。言葉をかけたり、お手伝いをすることだけが私たちの仕事ではなく、ご入居者の表情や間を見て、ただ看守ったり、何も言わずじっと傍にいることも必要だのだと感じています。また、できることはご自身でやっていただく、様子を見ながら、今できることよりも少し難しいこともやってみていただきながら自立支援をしています。以前の職場では、「やってあげる介護」をしていたかもしれません。限られた時間の中で業務をこなさなければいけないと思うと、自分がやってあげる方が楽ですから。いつ頃だったかははっきり覚えていませんが、それは違うということに気づきました。ご自身でやっていただくことは待つこと。手を貸したい気持ちをぐっと抑えて、ご入居者を心の中で応援しながら待つことも大切にしています。私たちの仕事は、ご入居者のお世話をすることではありません。ご入居者の自立を支援し、ご自身でできること、可能性を広げること、それがご入居者の“自分らしい暮らし”につながるのだと思います。

子どもの成長とともに働き方を選択

介護の仕事を始めて10年になります。前職で約2年、そして当社に入社し8年目を迎えました。祖母との思い出もあり、以前から介護の仕事には興味を持っていて、ヘルパー2級を取得しました。しかし、子どもが生まれ子どもに合わせた生活をしていたので、実際に介護の資格を活かして働き始めたのは子どもが小学校と幼稚園に入ったタイミングです。資格取得からは10年くらい空きました。もともと人と関わること、話をすることが好きでしたし、もしこの仕事をしていなくても接客業をしていたと思います。
当社へ入社した頃は短時間で勤務し、子供の成長に合わせて働く時間を増やしていきました。家からも近く、働く時間、日数を選びながら働けたことで、家族との時間も仕事も全力で向き合えたと思います。今は正社員となり、今ではサービス提供責任者の業務も任せていただくことになりました。

この記事を書いた人

うつのみや(総務業務チーム)

うつのみや(総務業務チーム)

興味を持ったことは何でもやってみたい性格です。世界を広げようと、趣味で韓国語と英会話を学んでいます。なかなか上達しませんが、一歩一歩、牛歩であっても進んでいるはず・・・(と自分を信じる日々)。とにかく楽しく勉強を続けています。取材を通して皆さんにお会いできるのを楽しみにしています。